【幸せ】 野生について 【苦痛】

野生というのは、自然の生態系の中で生きている動物のことをいうのだと思います。
自然の生態系の中で生きておりますので、捕食されて殺されたり、老いたり病気になって食料を確保できずに死んでしまったりという事が起こりえるわけです。

その点人間は、捕食されて殺される心配はめったに無いですし(銃で返り討ちにすることも可能だったりします)、老いたり病気になっても保存してある食料を食べたり、食料を生産できる人々から分けてもらったりして、生き延びることが可能です。
この部分が、人間の作った社会と野生の動物で大きく違う点であると思います。


【共存の道】 人間社会と野生

人間は自然をコントロールして、うまく生き延びることができるようになりました。
同時に、人間と共に生活している家畜や犬猫も、人間社会の中で共存する事ができるようになりました。

ここで問題なのが、人間の作った社会がどの程度、動物の野生的な感覚を抑えなければならないか・・・という点であると思います。人間も含めて動物は、狩猟本能や闘争本能や防衛本能や生殖本能など、様々な本能を持って生きています。これらの本能を消し去って生きていたほうが好都合な社会である場合、本能のままに行動できないという事から来るジレンマに遭遇します。

例えば、もうお年頃のオス犬がいるとします。
すると彼は、生殖本能の命ずるままに、メス犬に対して種付けを行おうとします。
でも、彼の本能の命ずるままに行動してしまうと、世の中は犬であふれかえってしまいます。
ですので、オス犬が生殖できないように去勢してしまうか、本能を出来る限り抑えさせて生活させるか、メス犬を近づけさせないようにコントロールしなければならないわけです。

また、狩猟本能を爆発させて思いっきり狩を行うことは、非常に楽しいものです。
非常に楽しく狩猟を行う個体がより多く生き残ってきたので、捕食系の動物達は、狩猟を好むわけです。ですが、小動物を狩る事を禁止されたらどうでしょう?

その個体は、狩猟本能を満たされなくて、さぞジレンマを感じることでしょう。
ですのでこのような場合は、ボール遊びや猫じゃらしなどの仮想の狩を行うことで、狩猟本能を充足させてやらねばならないわけです。

これは、人間であっても同じであると思います。
人間だって狩猟本能があったりしますし、闘争本能があるわけです。そのために、スポーツをしてその本能を解消してやると、非常にスッキリとした心境になるわけです。

このように、野生を完全にシャットアウトするのではなく、程ほどに本能を充足してやるような半野性的な行動をすることで、人間社会が持っているジレンマを少しでも解消してあげることが可能なのではないかと思います。

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