【犬の魂】 一寸の虫にも五分の魂

一寸の虫にすらその半分の五分の魂があるのだから、小さな虫ですら侮ってはならないという、日本のことわざです。

では、そんな虫を野放しにしておいて、虫が増えすぎたらどうなるだとか、蚊であっても毛虫であっても殺してはならないのでは、まったく農作物が収穫できなくなってしまい、人間は生きていけなくなってしまうので、そういった論は甚だナンセンスであるという論は、いつの時代でもあったことかと思います。

しかも、これに犬が絡むとなると、さらにお話が複雑になってきます。
一寸の虫は殺してしまうけれど犬は殺してはならないのか、はたまた、犬は高等な動物だから殺してはならなくて、虫は下等な動物だから殺してよいのだと誰が決めたのだとか、犬が絡むとそういった「線引き論」が出てきてしまったりするので、さらに混乱してしまうのだと思います。


【何が大切か?】 無用な殺生を行わないということ

このような場合に私がよく考えるのが、常日頃様々な形で行う殺生が、無用な殺生であるのか仕方の無い殺生なのかという事が大切であると思うのです。

無用な殺生というのは、必要で無い殺生です。
例えば、自分の自己満足の為だけに飼った動物を要らなくなったら処分するというのは要らない殺生だと思いますし、農作物を育てていない場所であるにもかかわらず、虫が嫌いだということだけで農薬を散布して大量の虫を殺してしまうのも、無用な殺生であると思うわけです。

また、毛皮が特別必要で無いにも関わらず、美しさの為だけに殺生を行うのも無用であると思いますし、戦争で武器を持たない民間人を殺してしまうのも、無用な殺生であると思うわけです。

ですので私は、保険所で殺処分される犬や猫たちに関しても、悪質なブリーディングを法律などで禁止させ、無責任な飼い主に犬の飼育を禁止して、里親制度を充実させ、ドイツなどのようにしっかりとしつけをすることを義務づければ、かなり無用に殺される犬猫たちを減らせるのではないかと思うわけです。

どのような生き物に、どの程度価値があるのかは千差万別だとは思いますが、価値の有無に関わらず、無用な殺生を避けるというだけでも、相当な生き物達が殺されずに済むように思います。

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